神秘、余白、妖精、天使、佐野洋子など

10代の頃「神秘的」というイメージに弱かったことが、そういえばあったなあと思い出して

まあでもアイデンティティ形成に影響を与えるほどではなかったような気がする。

ヴィジュアル系のバンドが好きで、耽美、ゴシック、デカダンス…

そういった類の芸術に興味はあった。妖精や天使のモチーフが好きだった。

同時に荒っぽいロックも好きだったりしたのだけれど。

ロック(私の言うロックはUK/USのインディーもの)は「その時にしか鳴らない音」があるのが、良い。

巨額の製作費をかけて録音された、売れ線の音楽の完璧さや整い方も、まあ美しいと思うけれど。

余白が無いな、って。

人間的な、エラーみたいの、ほしい。

私はなぜギターのハウリングがこんなに好きなのか、わからないけれど

聴く人が聴けばただのノイズ、それが心地よいのは、たぶん、本来カットされてしかるべき音だから。温かいと感じる。

その「余分」な部分こそ、人間がひとりひとり違うことの証しなのではないかと思えるのです。

レッスンで「ヨガの哲学をベースにした小話」をお届けして数年。

余白がなければ小話が生まれない。人間だからこそ起こるエラーが、私たちを成長あるは退化(どっちでもいい)させる。

エラーのない状態については、本で読んで学んで、おおむね理解しているけれど。

ヨガのゴールが解脱だとしても、私は解脱したことがないから、解脱した話はしないのだ。

だから解脱について思いはせてあれこれ語るよりも、その解脱してない自分のまま伝えられることをたくさん伝えていきたい。

未完成で不完全に聞こえる音楽が好きなように、不完全だからこその人間らしさが、好きです。

完璧(に見える)な人にもあこがれるし、すごい人も好きだけど、そうじゃない人もみんな好き。

自分を傷つける人をすんなり受け入れることまではできないけどね。

どんな時でも、あんなことされて傷ついたー!なんて言うまいと思っていた。

「私、気にしてない」「鈍感だから」

弱さのあまり、強さにあこがれて傷ついてないふりばかりしてきた。

すごく敏感ですぐ傷つくんだ!

声に出して言えるようになったら「いつでもサポートするから」「いつでも相談しなさい」

方々から、いろんな声がするようになった。

弱さを認めたら、滅多なことでは傷つかなくなった。敏感ではあるけどたぶん繊細ではなかったのだ。

悩みの種だった敏感さも、受け入れられるようになった。

ふと、はだしで野山を歩いていて、敏感さ全開している時、私には自然界の精霊が味方についているのかなと思った瞬間があった。なぜかわからないけれど。

これまでイメージが好きなだけで、まったく興味のなかった、神秘的な「パワー」も信じるようになった。

そして急に、10代の頃に好きだった妖精の本を引っ張り出したり、妙なバイブルを買いあさったりしてみた。

期待どおり、妖精もエンジェルもぜんっぜんかわいくないの。

20年前に読んだ本は、食べ物が出てくるところしか覚えてなかった。。。

佐野洋子のエッセイにもそんなことが書いてあったような。

大先生と一緒にするのはなんだけど。

iPhoneImage.png

そして「100万回生きたねこ」は解脱の話じゃない?って言っちゃうと野暮だけど。

あの余白はすごいよね。って思ってます。

| | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
読んだ本のこととか
ハタヨガというのは自分の身体をツールとしてしっかり使い、アーサナや呼吸法で浄化しながら自分の内面と向き合っていくシステム。

○○ヨガ××ヨガなど、さまざまな名前のヨガクラスがありますが、ハタヨガはその源流にあたります。
伝統的なハタヨガは、とても男性的でパワフル。
健康体に憧れていた私は、その力強さに魅せられてヨガの智慧を学ぶ決意をしたのですが。
私は屈強な古代インドのヨガ行者ではなく、痩せ細った日本の現代女性なのです。

ハタヨガの「ハ」は太陽(陽エネルギー)、「タ」は月(陰エネルギー)という意味を表し、陰と陽、心と身体、呼気と吸気、自分と宇宙など、対になるもの同士、バランスよく調和することでもあります。

その部分を見落としてはいないか?
自分に問いかけました。

先日、非常に勘が冴え渡る1日があり、その日にスタジオでライブラリを眺めていたら
1冊の本が棚から少しだけ飛び出していました。
「チャクラで生きる〜魂の新たなレベルの第一歩〜」
チャクラの意味は学んだものの、これがどんな本なのかは見当もつかなかったけれど、なんとなく、読んでみようかなと思ってレンタル手続き。
帰ってから軽い気持ちで読み始めると、病気について、その癒しについて、今知りたかったことばかりが書かれていて驚きました。



「病気が治らないのはなぜか、どうすればそれを癒せるのか」
著者からのメッセージを受け取りました。
なぜ私は何度も病気になったのか。今ならよくわかります。

どうして今このタイミングで私のもとにこの本が巡って来たのかはわかりません。
それでも、これも良い暗示と思える今、「調和」の大切さを理解し始めたように思います。

私は、ドクターから決して「治癒」の言葉をもらうことの無い病気を抱えていますが、今はほとんどの症状が治まってしまった。
これは奇跡的とも言えるけれども、日々自然と調和している今、当然なのかもしれない。
それが、読後の感想です。

最近では、外でシャヴァアーサナしたり、読書や内観ばかりしています。
ヨガの実践においても身体(ポーズ)のことばかりに気をとられていた4年前から、だいぶ変化したものです。

アニッチャ(無常)
すべては変化している。

なにかとヴィパッサナー瞑想センターのことを思い出す今、また行きたくてたまらなくなっています。
| | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
おみまい
■3/31、あまりの腹痛と吐き気に耐えきれず救急病院に倒れこみ翌日から入院となりました。回盲部炎の再発でした。

ヨガやってるのに身体壊してあらまあ…と思われても仕方ありませんが
特に先月は仕事、家庭、ヨガと欲張りすぎました。わかりやすい戒めです、きっと。

病院に着いて待合室のソファに腰をおろし背中を丸めていると、視線の先に1冊の絵本が。
マガジンラックに納められているその本は

「おみまい」(矢川澄子)

ここ数ヶ月、矢川澄子の著書ばかり10冊ほど読んでいて(川崎の図書館のオンライン予約システムは素晴らしい☆)、1冊だけ原作絵本を遺していることも知っていたのだけれどもつい小説やエッセイにばかり手が延びてしまい絵本は後回しになっていました。

タイトルからして病院にあってもおかしくはないけれども、中身は絵本と言えどちょっとシュールで大人向け。

突然、深夜の市立病院で出会ってしまった。
痛みに打ち震えながら、朦朧と絵本を眺めました。

ちょっと遠くに住んでいて、でも会おうと思えばすぐ会えるのになぜかなかなか連絡できないでいた友人に、最寄り駅でバッタリ会ったような気分。

たぶん、見えない誰かからのお見舞いだったのだと思います。

最近、こういう不思議なデンパを受信することがとても多い。
なので、運を天に任せることにしてみています。

■明日、ようやく退院します。

次は、何が起こるのかなあ。
| | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
| 1/1PAGES |
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE
OTHERS