全米ヨガアライアンス「E-RYT200」登録しました

こんばんは。

ヨガについての記事だけど、個人的なことなので個人ブログにしたためます。

*

ヨガインストラクターとして活動を始めて5年目に入りました。

まだ4年、もう4年?

いろいろなことがありました。

ただ、一切合切が猛スピードで過ぎたように感じています。

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この夏でお世話になったスタジオを離れるという個人的な節目を迎えるにあたり、ここ数年間のヨガ漬けの日々をふりかえり

ここから先の未来もきっと猛スピードで過ぎていく、それで良い、でも何かしらの形で記録を残しておきたいという自分の思いに気付きました。

全米ヨガアライアンスという、 世界で最も知名度の高いのヨガ協会があります。

日本でもヨガのティーチャートレーニングを開催しているスクールの多くが認定校を標榜しています。

サトヴィカのインストラクター達もRYTにより定められたトレーニングを修了しているため全員、申請資格を持っています。

私は、指導経験がほとんどないのに形だけの登録は意味がないと思い、ティーチャートレーニングコースを卒業してからしばらくは申請をしませんでした。

しかし、スタジオをオープンすることが決まった際、このシステムのお陰で認定校と、そして仲間達と出会いヨガインストラクターとして成長できたことを考えると、スタジオの代表として私だけでも登録をしておきたいと思い始めたのです。

昨年3月に登録をし、今年また更新。
申請したのは「RYT200」、認定スクールを卒業すれば誰でも登録可能です。

卒業から2年以上が経過し、指導時間が1000時間を超えると、E-RYT200という資格に更新することができます。

1000時間はとっくに超えていると気付きつつ…

そしてteaching hoursを更新したか?という英文のメールが届くたびに一体何時間分の指導経験が増えたのだろうと思いつつも計算をさぼっていました。

今回の節目を迎えるにあたり、 ようやく登録を完了しました。

それによって、私の指導内容など、何かが変化するわけではありません。

協会ににお金を払うか払わないかの違いだけじゃないかという考えもあるでしょう。

さまざまなことがあったこの数年間

体調を崩したりしてどんなにつらくとも、ヨガの指導をやめようと思ったことはありませんでした。

これからも、微力ながら川崎の片隅でヨガの普及に努めたいのです。

だから、お世話になった機関の認定インストラクターという肩書を購入しました。良いお買い物です。

プライスレス!

日本でE-RYT200を登録しているのは200人前後のようです。

http://www.yogaalliance.org/

↓認定証は自分でダウンロードして印刷するのがちょっと味気ないけど、現代的(笑)

私の指導時間は少なく見積もって1400時間です。

トレーニングのアシスタントに入った数100時間や、各種ワークショップは除きます。

継続的に週に2回90分のレッスンをしたとして月8回、年に96回

E-RYTに登録できる1000時間という条件を満たすには7年かかりますね。

もちろん、さまざまなライフスタイルに合わせて働けるという職業でもありますから、時間が多ければ良いというわけではありません。

でもね

とっても濃密な4年間でした。

すべての出会いに感謝しております!

加藤香耶 拝

| ヨガ | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
難病との対等なお付き合い・その2

昨年出会ったハリエンジュ、今年も会いたい会いたいと思いながら時間が経ってしまって、先日やっと。

満開には少し遅かったみたいだ。

雨に濡れて、少し痩せたみたいに見える白い花。

甘い香り、夢みたい。

 

湿った土、小枝、朽ちて薄茶に変色した花びら

私が携帯しているのは子ども用の敷物と小さな折り畳み座布団だけ。

敷物からはみ出た洋服は雨を吸って濡れていく。

 

 

昨年までの私だったら顔をしかめていたかもね。

人は変わるのだ。

 

*

 

 

 

有名なモデルさんが皮膚病を告白したと話題になっているみたい。

ご自身のルクスが商売道具でありながら病気になることのつらさは想像がつかないけれど

病気と向き合う姿に勇気をもらいました。


病気の皆さまハロー
苦しんでいませんか?

私は最近また少しラクになりました。
以前は、病気があったり、ポーズが完璧にできない身体でヨガを教えてはいけないという思い込みが激しくって
なかなか前に進みませんでした。

ポーズだけがヨガではないとか
ある薬の、筋肉が低下する副作用に見舞われていること

言い訳だと思われるのがシャクで口に出さないようにしていましたよ
それと、わかって欲しい人にわかってもらえないことを辛いと感じていたことも。

どうせ健康な人にはわからないでしょうとふてくされそうになる時、たまにふと我に返り、なんのためにポーズをするのか!思い出すのです。
ヨガインストラクターは、ポーズを見せるだけが目的ではない。

私は、持病があると言っても今はヨガのレッスンをしたり好きなものを食べたりできる。
充分幸せです。

まだ足りないまだまだ足りない、今のままではダメだと思わせるように、今の世の中はできていると思うことがある。

 

このポーズができるようになりたいと思っていた頃、なんとか自分を変えようとして、たくさん心身を痛めつけた。

その時は、それしか変わる方法がないと思っていたから。

ヨガを始める随分前から、もともと少しの異変を抱えていた身体が悲鳴をあげて、のたうち回るほどの痛みに追い詰められ、いっそ気絶したいと思ったのは何年か前

 

ある意味、その日を境にまったく違う身体になった。難病の烙印を押された、まったく望んでいない身体に。

しばらくしてから淡々と練習を再開して、ある日それまでできなかったいくつかのポーズがスッとできるようになった。

あっけなかった。

 

でも身体は元通りにはならない。そもそも元通りってなんだっけ。

薬や副作用と闘いながら、信頼できる治療院に通い始め、東洋医学の力も借りて、本来の自分に戻す作業が始まった。

治療を受けながら、痛みや悲しみに勝てなくて、あとは自分が情けなかったり、涙って枯れないものだねと思うくらいたくさん泣いたし、泣くことも治療を受けるのに必要なのかなと気付いた頃には勝たなくていいのだと思えるようになっていました。

 

自分で自分を責めている

心がそうするから、身体もそうしているんだよって教えられて

 

自己免疫疾患は、自己の細胞を非自己と勘違いして攻撃する病気

「正常」だと「自己を攻撃しない」ものなのですね。ふむふむ。

私は私を責め続けていたから、身体もそれにならっただけ。

 

*

 

「あなたはどうしてヨガをはじめたの?」

「健康になりたかったから」

いつでも、それが私の答えです。

病気の自分はダメだと思っていました。

 

以前のブログ記事
病気でも元気です/難病との対等なお付き合い

今日のは、続編というか番外編でした。

| ヨガ | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
見えないナイフを抜く作業

家庭と仕事のバランスについて、働く母のだれもが一度は考えすぎてわからなくなったりしたことはあるのではないかと

私も例に漏れずで

いや働く前から、母親とはなんぞやということを考えすぎたこともありました。

娘を妊娠中、息子を母に預け切迫早産で入院した時に、いきなり引き離されたショックと、私に心配をかけまいと「息子くんは元気にしているよ」と言った母の言葉により

「息子には、私がいなくても良いのかな」とメソメソして

暇さのあまり、ヤ○ー知恵袋に初めて登録して悩み相談をしたのは今では笑い話だけれど

長期入院で軽くおかしくなってしまって

最後の方は、義母と息子が面会に来る幻覚を見たりしていた。

実際には息子は、私の留守中ずっと指しゃぶりばかりして、ほとんどお喋りをしていなかっというのが実情だったと後から知る。

そしてそこから1年半も経った頃に、病院の面会受付の入口を通りかかっただけで3歳近くなっていた息子が過呼吸を起こしたことで、彼の心の傷の深さをさらに知る。

「またお母さんが病院から帰ってこなくなると思った」なんて言うこともできないし、理解もしていないはずの3歳児。ただただつらい記憶だけがあったんだね。

その時も「私が悪いんだ」と思っていたと記憶している。

私が入院なんかしたから息子が傷ついた。

そして娘を産んで体調が絶不調になった頃、同じく不調に陥っていた夫からの「母親が使えないなら他人に頼むしかない」「できないならできる人に頼むしかないだろう」「病気って言えば育児を代わってもらえるんだからいいよな」と

「できない」「使えない」攻撃

私ができないから

私がほかのお母さんみたいに出歩けないから、義母がいれば私は要らない存在。

内臓の炎症を起こして自宅で動けなくなり、救急病院に行きたいと言った時も

夫には「あした仕事だから」と、寝ている幼児たちを見てもらうこともできないばかりか

迷惑そうにされて、救急車を呼んでもらうこともできなかった。

夜中、吐き気と痛みの波が引いたときに、母に朝方来て子どもたちを見てもらえるよう連絡してから、病院まで自力で運転して行って、医者に命知らずと呆れられたり。

自分を犠牲にする癖はいつからついたのか

人生において、自分自身を否定された覚えもないけど、肯定された覚えもなかった。

認められるという感覚が欠如していたので、認められようとして行動するのだけれどどうにもちぐはぐだったのだろう。

なんだかな、と思った頃にヨガに出会った。

私にとってのヨガは、はじめ、自分で自分に刺した見えないナイフを1本ずつ抜いていく作業だった。

それでもウッカリするとまた私は自分に牙を向ける。

それに気づいたらまた1つ1つ抜く。

先日、ああ!まだいっぱい刺さっていた!と、腕や足に刺さったナイフをいくつも抜くという夢を見た。

最近肝臓をいたわる「ひまし油湿布」を始めたのです。

だから夢で心もデトックスしてるのかな。

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息子2歳

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娘0歳

| ヨガ | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
病は気からと言われても。

巷に情報が氾濫していて、病は気からとか、病気の原因はストレスや食べ物、あるいはほかの生活習慣だとか

色々、色々、それぞれ根拠があるのでしょうが

 

わりとめんどくさい病気にかかったことのある、あるいは今かかっている皆さん

 

病気になってからそんなこと色々色々言われたって

今更どうにもできないよっ。て思いませんか。

 

私は何度か思いました。

生活習慣だって、当時は悪くなかった。

(昔は酒たばこやってたけど)

育児で疲弊していただけ。たぶん普通のレベルの疲弊です。

 

私が出会ったドクターたちは口を揃えて

なっちゃったものは薬で治しましょう。

ストレスためるなったって、今からストレス解消したって今の痛みを消せるわけじゃないんだから。

痛みをとるのが最優先。

 

そんなことを言っていました。

病気になった理由について言及されたり、責められたりすることはありませんでした。

 

痛みがあると冷静になれません。

 

数年前、私は痛い思いをしすぎて、その後もちょっとやそっとの痛みはあるのが当たり前になってしまって

普通じゃないレベルの痛みかどうかがわからなくなってしまいました。

だから、これはきついな。と思って病院に行ったときには

「なんでこんなに痛くなるまで来なかったのだ」「歩けるのが不思議だ」と言われるのです。

 

一般的には歩けないレベルの痛みでも動けるんだから、実は私頑丈なんじゃないか?とかわけのわからないことを思ったり。

痛みは冷静さを欠きます(2回目)。

 

「病気でどうつらいかは、あなたにしかわからない」

 

何度か出会ったその類の言葉は、私を安心させました。

誰かにわかってもらおうなんて、わかってもらえるなんて、思ってないもの。

 

たまにわかってもらえたことがわかる時があって、それは嬉しいけど。

 

私の病気は手足が痛くなることがよくあったけど、痛くなくなったときの喜びは半端ない(笑)

それだけで結構幸せだと思います。

 

その幸せのために病気になったのかもね。なんて思ったり。

痛みがわかるって、悪くないことですよ。

強がるつもりはないので、痛くて辛いことも数えきれないくらいあったことを書き添えますが。

 

感謝しています。

でも私、もう病気じゃなくてもいいな。そろそろお別れしたいところですが。

もう少し「幸せー!」って叫べるくらいじゃないと、お別れできないのかな。

テンション低いだけで、幸せなんだけどな(笑)

 

最近では、ヨガのポーズ中に瞑想しています。

本来、ポーズが深まれば自然と瞑想状態になると言われていますが。

ハードなポーズでは瞑想状態になる前に疲れてしまうこともあります。

穏やかなポーズで、自己の内面を見つめる時間。とても良い。

ハードなポーズも深まりやすくなりました。

 

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スフィンクスのポーズ

| ヨガ | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
yoga lifeというよりyogaはlife

私が一途に、ひとつの方向を向いて知識を深めたり、実践をし続けたりしたことはいまだかつてあまりなかった。

ヨガとアーシングは私のライフワークだと先日触れた通りで、このふたつを除いては、ということになるけれど。

 

ヨガは、実はひとつのヨガしか知らないのだけれど。

ヨガとは、アーサナだけではなくて、人生そのものであって、でもヨガを教えるためにはアーサナのレッスンをする場所はもちろん必要だと思ってスタジオを作ったのだけれど

 

スタジオ設立にあたってこだわったことのひとつは「ソファやテーブル、お茶類を置ける受付スペースがあること」だった。

かつてこよなく愛していた場所があって、今はもう様変わりしたのだけれど、私が行くのを楽しみにしていた場所

そこに漂う穏やかな気(プラーナ)、静かで優しい時間を過ごすのが本当に好きで、再現したいのだと、サトヴィカのスタジオを設計してもらっている途中でふと気づいた。

 

かつて薬漬けでふらふらだった私でも、ここにいても良いのだという安心感。通ううちに元気になって、嬉しかったな。

 

ヨガもアーシングも治療目的でするものではないけれど、ヨガで誰かの人生が変わるのを何度も見てきて、私は、いまいる場所でもっと、たくさんの人と関わっていきたいと思う。

 

どんな形でも良い。

 

| ヨガ | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
病気でも元気です/難病との対等なお付き合い

もしも、病気をきっかけにヨガのレッスンを受けてみようと思っている人がいれば、歓迎します。


ヨガ(呼吸やアーサナ)で、悪化した風邪を治せるでしょうか。


ヨガで、盲腸炎を治せるでしょうか。

ヨガで、ガン細胞を消せるでしょうか。


ヨガは、万能ではありません。

しかしながら私は、ヨガの呼吸法を習得したことによって、この4年間一度も風邪をひいていません。

それは素晴らしいことです。


ところが、以前風邪ではない大病をしました。

炎症の検査でが見たこともない高い値を示していて、身体じゅうが焼けるように痛みました。


ハアハアと速い呼吸をしながら

「身体じゅうこんなに痛いのに、よく息が止まらないなあ」と薄れゆく意識の中で、思いました。


どれだけヨガの呼吸法が素晴らしくても、そのような時には実践できませんし、いくら漢方薬の方が内臓への負担が少ないと言っても、その状況では西洋医学に頼って即効性のある抗炎症薬や鎮痛剤を使わなければ、いろいろなことが間に合わないでしょう。


その大病は、年子乳児の育児に疲弊していたずいぶん前から片鱗を見せていましたが、私ももちろん、いくら病院を受診してもドクターに気づかれることはありませんでした。


たびたび身体のあちこちに炎症が起きて、なんだかずっと身体の調子がすぐれない。いつも具合が悪いわけではないけれども、どうも本調子ではないなあと思い続けて数年。


ヨガを始めて、心身のバランスが取れてきたかのように見えたのですが、ひょんなきっかけで一気に内臓の炎症が悪化して、大事に至りました。


難病に指定されているまれな病気であると判明した時には、最初の発症から6年が経過していました。


とてもスッキリしました。


病気でもないのに、何年も炎症に悩まされ続けているとしたら、私の身体はどうかしているのではないかと思い始めていた矢先に病名が発覚して


「なるほどー」「だから体調がおかしかったんだ」「解決してよかった」と思ったのです。


まれな病気ゆえ、まれな薬を使っての治療が始まり、今までの数年間の体調の揺らぎが嘘のようになくなって、元気になりました。


ヨガは万能ではありませんが、病気になった自分を責めそうになる時、ヨガ哲学は私を助けてくれました。


風邪を引かなくなったことからもわかるように、難病を治せないとしても、悪化しなかったのはヨガのアーサナや瞑想で、エネルギーの通りを意識していたおかげなのかもしれないと感じています。

その病気は、軽く済むこともあれば、いくら薬を使っても寝たきりになってしまうこともあるし、厳格な食事制限が必要な人もいるようです。


私は、病人とは思えないくらい元気にのほほんと暮らしています。



時折、症状が出たら「来たねー」と迎え入れる時もあれば、「なんで来るの!」と追い払いたくなる時もあります。

薬は、いつか自然に別れる時がくると予感しています。


だから、薬を使っていることをわざわざ公表することはないと思っていました。



それでも「身体が柔らかいですね」「健康的ですね」「いつも元気でうらやましい」


ヨガのレッスンを受けてくださった方から、時折そう言われます。


「身体、固かったんですよ」とは言えるのに「健康で元気ですよ」って言いたくても、言えなかったのです。

「私病気だけど、元気ですよ」って、伝わるかなあ、って。


そして「元気ですね」「健康的ですね」と言われるたびに「病気だけど」と、胸の奥がチクリと痛みました。

だから、正直に言いたくなったのです。


もう一度。

私は、病気だけど、健康で元気です。


ヨガは、病気の人でもできます。


もしも身体の悩みを抱えてレッスンに来ることを躊躇している人がいたら、心配せずに近くのお教室に問い合わせてみてください。


どこかに、その悩みを共有できる先生がいるかもしれません。

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| ヨガ | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
「立場」の消えるとき/ガン健診との決別

今朝、ふいに「外に出たい!」と思った。



前日、病院にとある定期健診の結果を聞きに行って、その健診はもう私にとって長いこと悩みの種だったのだけど、


昨日はそうやって年に数回悩むのをやめるための決心をして、なんだかとてもスッキリした。


晴れやかな気持ちで朝を迎えて、朝からゆっくりお風呂に入って、鼻歌まじりに掃除なんかしているうちに、最近家にいてばかりだな、と思って


家、好きなんだけど。引っ越しから2か月弱、そろそろ外で遊びたくなってきた。


お仕事の前に、自転車で近くの喫茶店に向かって、モーニングセットをオーダー。

卵サンドにケチャップがついてて、はじめての組み合わせだけど美味しかった。


仕事の合間に、多摩川へと自転車を走らせる。


2か月前までは多摩川まで30秒だったのが、今は自転車で15分。


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久しぶりに訪れた河川敷の地面は、うっとりするくらい気持ちよく足に馴染んだ。


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せせらぎの中は沼みたいになってて、ずぶずぶと足が食べられていくみたいで面白い。


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以前の家の近くでも、オノエヤナギという木にほれ込んでいたんだけど(サトヴィカのトップページの葉っぱ!)


ここにも、さらに大きなオノエヤナギ。


みなっちの瞑想会で教えてもらった「立場を水に流す」


夫の妻で、子どもたちの母で、サトヴィカの責任者で、先生の弟子で、両親の娘で、姉の妹で。


大地に横たわっていると、たくさんの私が消えていく瞬間がわかる。


たくさん病気したから「病気の私」が消えたらいいなとずっと思っていた。


でも、病気ってなんだろうと最近思う。私、元気なんです(笑)。


病気だなあと思うこともある、どこか痛い時とかは。


婦人科系のガン健診で、はじめに再検査になったのは5年前。ヨガを始めるよりも、前。


再検査を受けて、ガンになる確率は低いけど、要経過観察となった。


自然に消えちゃう人がほとんどよ。歴代の担当医にそう言われ続けたけど、消えなかった。


何年も消えない場合は、ガン化することが多いから、手術しちゃった方がいいね。しばらく検査を続けましょう。


でも軽度の異常が、中度や高度になることもなかった。


ずっと平行線。ずっと気にしてなければならないじゃん。検査何度も受けなきゃならないし、検査痛いし。やだな。


でも、もう3年も経ったから悪化してないけど手術も考えようか、と言われても、消えるかもしれないんでしょ?と、手術を受け入れなかった。手術するくらいなら、面倒なのも痛いのも我慢する。


検査のときだけ思い出して、そのほかの時は忘れて過ごそうと思った。でも、忘れるのはけっこう難しかった。


ずっと気にしてるくらいなら、1回手術受けた方がよくない?


急に、昨日そう思った。


たぶん私は、手術=自己治癒力がない=身体が弱い


と、思っていた。


身体が弱い自分が嫌で、どうにかしたくてヨガを始めたから、病気を治せなかったことが嫌だと思っていた。


でも、数年経ったらガンになる可能性のあったそれを、消すこともできなかった代わりに悪化させることもなかったんだから、もういいんじゃない?


それに、たとえ身体が弱くても、何か困ってることがあるかしら?


特に、なかった(笑)



結局のところ、弱いか普通か強いのか、わからないけど、なんでもいい。


「立場」が消えるとき「病気の私」も消える。


その時、一瞬びっくりするくらい、胸が熱くなる。大きな力に守られていると感じる。


どんな私でも守られているのだと、感じる。

| ヨガ | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイライフワーク、いまさら編

最近では、朝起きぬけに15分ほどお湯に浸かる。

末端からじわじわと目覚めさせるように、つま先から頭頂まで、頭頂からつま先まで、スキャンするように、身体を観察する。

すこしの痛みや違和感があれば「どうしたのですかー?」と身体に問う。

「なんでもありませーん」とでも言うように、その違和感がお湯に溶けていくこともあれば、何か言いたげに疼き続けることもある。

前日にいつもより食べ過ぎて胃が重たいとか、やや寝不足で頭がぼんやりしているとか、その程度のことだけれども

自覚しているかしていないかで、その日の過ごし方が変わるから、その観察は大変役に立っている。

 

毎日食べ過ぎたり毎日寝不足なわけじゃなければ、それは大きな問題ではないと思うのだけれど、私はどうもことを大げさにとらえるくせがあって

「胃が重い。このまま大病になったらどうしよう」

そんな風にネガティブだった。

数年前に、ヨガ哲学に出会って、考え方が、そして生活が変わった。

人生をひっくり返すような衝撃だったかと思えば、当たり前のように生活に溶け込んだ。

今年の初めの、アーシングとの出会いも、ヨガのそれとよく似ていた。

 

そのふたつは、私のライフワークなのだろうと思っているので、ヨガで健康を維持しているのですね。と尋ねられると

「ああ、そうだっけな?」と一瞬考えてしまう。

当たり前すぎて忘れてしまうなんて、ひどいようだけれど、実は、ヨガを教える者として、それほど幸せなことはないのではないか。

「生き方としてのヨガ」という有名な本がある。

ヨガは、健康法というだけではなく、生き方。だから、やはりライフワーク。愛しています。

アーシングについては、まだ、健康法という意識がある、ように思う。けれどこれも、生き方なのだろう。

本来の自分に還る心地よさを教えてもらった。やはり、愛しています。

 

アーシングを初めてからこっち、手のひらが別人のそれみたいに変化して、いつでも温かい。

レッスンで生徒さんに触れるとき、心も温まる。「つながり(yoga)」の真髄に少しずつでも近づいてるような気がする。

 

必要な出会いは突然やってくるのだな。

人生何が起こるかわからないから、面白い。

やめないで、よかったよね。

 

| ヨガ | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロゴを作っていただきました
サトヴィカ・ヨガスクールのロゴが完成しました。
デザイナーのアサコさんありがとうございます!


ホームページに使わせていただいています。
トップページには、先日成井和則さんに撮影していただいた写真を数枚追加。

木漏れ日の写真だけは私が撮ったものです。
近所の河原に堂々と佇む大きな木の陰で、風の強い、春のある日に撮影。良い日だったな。


ロゴについてはイメージを伝えて、いくつか候補をあげていただいて
色は、フォントはどれがいいか迷い
iを小文字にするかどうかとかでも迷い
最終的に決めるのは自分なのだけれど
たくさんの人に意見を聞き、出来上がりました。

そもそもサトヴィカ・ヨガスクールという名前だって1人で決めたわけではなく。
多くの人への感謝の気持ちでいっぱいです。

ロゴにこめた想いは暑苦しくなるので割愛しますが(笑)

すごーく迷ったけど、迷う時最終的には好きかどうかだよね。と思いました。

「考えるな、感じるんだ」が向いているタイプなので、考えすぎるとドツボにはまりがちなのです。
それはそれで何かしらの気づきを得られるので無駄ではありませんが。

基本的には、考える前に動く日々…

先日
「負けず嫌いではないのか?」と人に聞かれ
答えは
「ないね」「マイペースなんだわ」
なのですが
そのマイペースが高速なんだけどね。と心の中で補足。

アーユルヴェーダで言うところの、ヴァータが強め。

冷え気味で、軽くて、乾いてて、動いてて、速い性質。

ハダシで大地におりて。
温かくてしっとりしている地面に腰を下ろして大人しくしてると安らげるのはそういうわけか、ヴァータが鎮まるのかな、とか思ったりするけど

やっぱり、考えるより、感じる。
というわけで、ただ気持ち良いからそうしてるんだよな、とも思います。

なぜダンナさんを好きになったの?
なぜヨガをはじめたの?
なぜ今の師匠に弟子入りしたの?
なぜハダシになったの?

あとから理由を考えれば、ああだからかなこうだからかなといくらでも思いつくけど
結局最初は「なんとなくピンときた」だったよな、と。
そして「なんとなく」の温度は人それぞれなんだろうな、とも思う。

このなんとなくを、うまく説明できたらいいなとも思うけど、なんとなくのままでもいいかなとも思う。

なんとなくで始まって、そこからどうなったかは、いくらでも語れるし。

フンワリとした雑記でした。
| ヨガ | 16:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
アーサナ撮影会/エンジェルナンバー
Pindi photographyの成井和則さんに、大好きな東高根森林公園でアーサナ撮影をしていただきました!

いつもそばにいてくれるリラヨガ仲間がはるばる来てくれて、楽しいひととき♪
おいしいスリランカ料理を食べて、さらにご近所のヨガ仲間と合流してマルイでお茶して、帰り道。

1101、5545、6664、8808のような、おしい!ゾロ目じゃない!みたいたナンバーの車に遭遇しまくる。
夜、実家に泊まる子どもたちを送ったあと、偶然夫と合流する。
駅前のお店で食事しながら、近い将来のことなどポツポツ話し合い、励まされながらの帰り道。

「今日ね、ゾロ目のようでゾロ目じゃない車ばっかり見る」
「あ、8808」
「ほらね」
「あっ、8888あった」
「おースッキリした!」

続けて家の横のスーパの駐車場に…
88、888が並んでいるのを見つける。最後にまたもや8888を発見。

…背中がゾクゾクする。

少し前にもゾロ目が気になる時期があり、その時「エンジェルナンバー」というものを友人に教えてもらって、調べたのでした。
気になる方は、8888の意味、見てみてください。

スタジオの準備も進む中、変化の時なのだなというのはさすがに感じています。
心が揺らぎやすい私へのやさしいメッセージ。見えない誰か、ありがとう。

すてきな写真。
撮影してほしい!という方は、紹介割引がありますのでお声掛けくださいね。















| ヨガ | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
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